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取組事例

リフォーム工事の瑕疵等(訴訟案件)――建物の傷とこころの傷

水漏れの修理を契機に、配管の取り換えと設備や内装の更新が行われた工事の瑕疵を巡って争われた事件。請負人である原告から、発注者である被告に対し工事代金の残金の支払いを求めて提訴されたものです。途中で、裁判所から調停に付され、提訴から約2年を経て、和解にいたりました。当協議会は、被告人代理人からの依頼を受け、瑕疵の存在や原因等について現場調査を行い、意見書にまとめました。

本件で特徴的だったのは、水漏れの原因探査のために躯体にあけられた複数の穴。本件建物は鉄筋コンクリートで、この穴はコンクリートを斫って開けられ、一部鉄筋も切断されていました。工事終了後もこの穴はふさがれることなく、その上から仕上げ材により補修されていました。
施工者はこの穴の必要性については事前に説明を行い、合意を得ていたと主張するのですが、注文主はこれに納得せず、安全性にも不安を覚え、不要な工事であったと主張し、他にも瑕疵があったこともあり、残金の支払いを保留したものです。

調停は、技術的観点が多いことから建築士の専門委員が加わって進められました。

結果的には、双方の主張が応分に認められ、損害分を差し引いた金額を原告に支払うことで和解が成立しました。
ただ、注文主側からすれば、100%納得して和解に応じたのかと言えば、もちろんそうではありません。
そのもっとも大きな要因が、コンクリートに開けられた穴でした。これに関しては、周辺の構造に与える強度的な影響は懸念されるものの、建物全体から見ると強度低下の懸念はなく、基本的には瑕疵とは認められないと判断されたのです。

このように、裁判にまでいたる動機の主要な要因となる部分について、主張が認められないケースは少なくありません。これは、一般の感覚と常にギャップが存在するところです。
このことについて、少し考察してみます。

最近の科学、そのなかでもとくに脳科学の進展によって、われわれの脳と環境との関係の重要性が明らかになってきました。
たとえば、心理学者のルイーズ・バレットは、記憶について、「動物が頭の中に持っていたり持っていなかったりする「物」ではなく、動物・環境という連鎖全体の特性で」あって、「いつでも情報を元のままの完全な状態で想起できると示唆する所見はひとつもない。むしろ、想起するたびに記憶は変化すると考えられている」と述べています(『野生の知能 裸の脳から、身体・環境とのつながりへ』(ルイーズ・バレット著、小松淳子訳 インターシフト発行 2013年)。
また、認知症と住宅の関連を研究しているHABIB CHAUDHURYは、
「場所に結びついた感情(feelings)は(特に家への強い感情的結びつきなど)、ニュートラルな経験より、記憶を想起させる可能性を持つ」
「物理的環境は、(ライフ)経験とアイデンティティをシェイプし、また逆も真である。環境は、生きられた経験の不可欠な部分として見られ、環境の記憶は過去の経験を思い出す手がかりとなりうる」(「Remenmering Home Rediscovering the Self in Dimentia」(HABIB CHAUDHURY The Johns Hopkins University Press 2008)と言っています。

これらによると、すまいとは私たちの人生経験やアイデンティティーと不可分であり、とくに感情的な部分が多いほどその結びつきは強く、私たちの記憶はすまいという物理的な環境を手がかりとして常に再構成されるということを示唆します。
このことは、すまいのトラブル対応に日常的に接している者が日ごろ感じていること、すまいへの物理的打撃が、人々にいかに心理的ダメージを与えるかについて、なるほどと納得させられるところがあります。すまいへの与えられた損害は、住み手に負の感情を生じさせ、それは日々再構築される記憶システムによってますます増幅されていくようです。
トラブルの前に合意されていたはずのことが、トラブルの後でそんな合意はしていないとすっかり否定されてしまうということがよくありますが、それも私たちのこうした記憶のシステムを考えれば、意外に自然なことかもしれません。

もしかしたら、すまいという物理的環境への損害は、私たちの心身へも直接影響を与えるのではないかと仮説を立ててみたくなりますが、これには科学的な検証が必要で、今後の課題となるでしょう。
いずれにしても、すまいのトラブルについて、心理的な側面からの理解を深めることが、真の解決を図るうえで必須になりつつあるのは間違いないことのようです。

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